花鳥風月

〜日々を彩る風鈴花の365日〜

クラゲの舞

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小田急線 片瀬江ノ島駅構内には江ノ島水族館が管理している水槽があり、自由自在に水中を浮遊するクラゲを間近に観察することが出来る。2020年に完成した、この水槽は、江ノ島水族館と地下で繋がっており、何か異常があれば、すぐに水族館に連絡が行く仕組みにもなっているそうだ。

水族館にでも行かないと間近で見る機会はないことを考えると、毎日見ることの出来る、この駅の利用者は幸運と言えよう。時間帯によっては駅が混み合い、水槽前にも人だかりが出来ることもある為、お勧めの時間帯は休日ならば早朝である。

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クラゲを観察していると、四葉のクローバーを思わせる部分に目がいく。ここは消化器官、胃の部分になるのだが、人間のように「脳」の存在がない為、指令によって動かしているのではない。

クラゲは体中に張り巡らされている神経が刺激されることにより反射的に動いている。「脳」の司令によって生きている人間からすると何とも不思議な生き物である。言わば流れに身を任せていると言えよう。年中、脳が休みなく働いている我々人間は、時に、「無」になることも必要ではないか。クラゲが浮遊する姿を見て、日々リラックスしたいと思った今日この頃である。

モチモチ

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9月17日名月

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10月17日スーパームーン

 

9月、10月と、月の鑑賞会が続いた。

空を見上げ、今年も、あと少しなのかと思うと、目まぐるしい日々の中で、ただ目の前のことを精一杯こなし、ぶくぶくと丸くなった月日だったように振り返りながらも、この煌々と光を放つ月のように、 一つのミスも許されない仕事で、ほぼ完璧に近い働きが出来、どのような場面でも明るく過ごすことが出来たのは、日々の体調管理の賜物と自分を少しだけ褒めてあげようと思わせてくれた美しい月だった。

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中秋の名月といえば、月餅である。お土産で頂いた月餅を、この時ばかりはカロリーの高さなど関係ない、と躊躇なく封を開けた。

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2つにカットすると、月美、餅心、になった。

月のように透明感のある美しさ、餅のように柔軟な心で、というメッセージのようである。流石に一度に丸々一個は多いため2日間かけて頂いた。一箱は6個入りである。体型が、ますます餅のように丸くなっていくことであろう。「モチモチ、そこの、お嬢さん」

ピュアになれ

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大掃除に忙しく、遊びにも行かずに自宅で動き回っている私を気遣ってか、今朝の片瀬海岸の写真がLINEで送られてきた。秋晴れの清々しい中、気温も風もあり、絶好のサーフィン日和だろう。三連休の最終日、海岸沿いは人が多いとのこと、思わぬ事故には気をつけ大いに楽しんでほしい。

一点の曇りもない秋晴れの真っ青な空を眺めていると、「ピュアになれ」という曲が浮かんだ。今時の曲では無いから知らない人は知らないかもしれないが、喉の調子が良い時にはカラオケで歌うこともある、お気に入りの一曲であり、言わずと知れた小野正利さんのデビュー曲である。突き抜ける高音が秋晴れの透き通った青に突き刺さる。水面に煌めく光の粒が、生命力の輝きと愛する思いに満ち溢れているピュアな心、そのもののようで、打ち寄せる波は、心臓の鼓動のようだ。

歳を重ねても愛する気持ちは、この曲のように、この広がる青空のように、どこまでもピュアでありたい。

 

一番星

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アイス好きな友人がいる。その友人と会うと、必ずと言っていいほど、アイスを買うことになる。

私は、レモンが入った氷タイプのアイスをたまに買うことはあるが、自宅の冷凍庫に常備するということは、10代を卒業してからは、ない。甘い物は大好きだけれど、アイスクリームは、久々に味わうデザート感覚が丁度いいのだ。

その友人と待ち合わせをして花火を見ることになった夏のある夕暮れ。これは、アイスの流れだなと思っていたら、帰り道、コンビニの前に来た途端に「ねー、アイス買って行かない?」「あーいっすよー」と私からの気の利いた返事を聞かずに友人は既に目を輝かせて店内にいた。こういう時、私のチョイスは、pino一択である。外に出るや否や、アイスにかぶりついている友人の横で、私は動作が止まっていた。「ん?変な形がある。これは、まさか星型?」初めて、ピノの星型に出会った瞬間だった。食べるよりも先に、ピノ、星型、で調べてみると、なんと確率は4.8%とある。こういうちょっとした当たりが好きな単純な私は、これだけでテンションが爆上がりしていた。早速、友人に自慢しようとピノの箱を目の前に差し出すと、友人は一個くれると思ったらしく「ありがとう。一つもらうね。」と、何の躊躇いもなく星型をさらっていった。「ちょっと、今の見た?星型!星型だったの!」「へぇー、そんなのあるんだ、珍しいね。」記念撮影もしないまま、初めてのピノ一番星は、あっけなく、スタコラさっさと目の前から消えてしまった。「食べ物の恨みは、昔から怖いのよ!」と友人に言うと、「それは、ほしくないわね。」と返された。

ダジャレまで持って行かれた帰り道だった。

 

ダブルレインボー

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家を飛び出したら、東の空には太陽が輝きを放っているのに空からは大粒の雨が降っていた。これは虹が期待出来るパターンだとワクワクしながら西の空を見上げると、やはり、虹が途切れることなく大きくかかっていた。勝手に、幸せな気持ちになり、勝手に、良いことが起こると確信しながら心がステップを刻んだ今朝の通勤時間。写真を撮った後、エンジェルサインのダブルレインボーだったと知る。これは友にも連絡しなければと急いでLINEを送った。幸せは幸せを呼ぶ。そして、その幸せな時を結んでいきたい。

そういえば、虹という漢字は、何故、虫偏なのだろうと一度は疑問に感じるものでもある。分解すると、「虫」「エ」となる。 「虫」は「風」という漢字にもある。 「エ」は空という漢字にもある。風と空と虹。大地で風が湧き起こり、空高く舞い上がり、雲が広がり、大地へと雨が降り注ぐ。そしてそれは輝く虹へと変化する。大地の、うねるようなエネルギーの流れは、大蛇、そして竜の動きに通ずると理解をすると、虹の語源も自と見えてくる。これだから漢字は面白い。そんなことを思った一日だった。

 

だれもいない海

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今は、、、もう秋〜 誰も、、、いない海〜

夕焼けに染まる海を眺めていると自然と『誰もいない海』のメロディーが頭の中に流れてきた。好きだった人は海の向こうで幸せになっているかな、とふと思い出しながら、真っ赤に染まる空と、それを受ける波間を見つめた。打ち寄せる波の音は、まるで過ぎゆく時計の針の音のようだった。

デートの約束をして心待ちにしていたのに、一向に音沙汰なく、ある日、SNS上で偶然、ログインしていることがわかり声を掛けようとしたら、それこそ一瞬でアカウントごと目の前から消えた。ショックは、さらに続いた。「八方美人」と一方的に判断され心無い言葉が並べられた一通のメールが届いていた。「気持ちがうまれても、僕は一人にしかアプローチしなかった」というような文面もあった。自分は目移りするようなタイプでは決してなく、真っ直ぐ、一人にだけ気持ちが向かうタイプの人間である。まず浮気することは皆無であり、電話も含めて男性に気軽に声をかけるようなタイプではないため、自ら積極的に複数にアプローチするなど全く考えられないし、俗に言うキープなどは、考えたことすらない。たとえば、同時に複数からアプローチを受けたとしても、ハッキリ言われないと気付かないし、直接的に言われたとしても、自分の心は一つしかないので必然的に返事はNOと決まっている。ずいぶんと軽く見られていたことに、何かの間違いではないかと、雷が落ちたかのような衝撃を受けた。さらに、「気持ちが生まれても」という言葉に、非常に、いたたまれなくなった。他にも好きな女性、気になる女性がいたんだ…。アプローチは私だけだったけれど、他にも気になる女性がいたから、デートの約束をしつつも、様子を見て乗り換えたのかな…。今時なのかは不明だが、電話でも直接でもなく、無機質な文字だけのメールが秋風が吹いたかのように届き、事実上の失恋は明らかだった。ショックすぎて食欲もなく、周囲に心配をかけまいと無理やり食事をしても、何も味がわからない日が続いた。景色は変わらず目の前にあるのに、いるべきはずの人はいない。胸がキリキリと痛んだ。それでも、「行かないで」「いますぐ会いたい」「こんなに大好きなのに」とは、決して言えなかった。伝えられなかった。それは、プライドからではなく、他にも好きな人がいたのなら、その人との幸せを祈りたい、祈らなければならない、と思ったためだった。直接会って、本当に好きだったと伝えられたら、ずっとそばにいたい、と伝えられたら、どんなに幸せだろうかとも思ったけれど、溢れ出る気持ちを涙に流しながら、新調したワンピースをクローゼットの奥に入れ、断腸の思いで胸の扉を閉めた。

 

数年を経て、不器用な自分が幸せな道を歩めてきたかどうかは正直わからない。ただ、人生の終わりを迎える瞬間に、心がふるえる時を一つ叶えることが出来たと思えたなら、それが幸せだと思う。その意味においても、心がふるえる程、会いたいと思わせてくれた、その人に、心の底から、ありがとうと伝えたい。そしてもしも、遠い何処かで誰もいない浜辺で空を眺めている、あなたがいるとしたら、いるのなら、「夕日が綺麗ですね」と伝えたい。その後に出る月に心を寄せ思いを馳せながら。心の中心で思っていた、あなたへ

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夢見る黄昏時

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土日休みの普通の会社員にとって、夏の金曜日の夕方は開放感ある特別な時間だ。そんな黄昏時の夕焼けという天体ショーは、最早言葉さえいらない。その景色を、その空気感を、ただただひたすら眺めるているだけで心も幸せ色に染まってゆく。時間に追われる日々の中で、この黄昏時だけは時計の針ではなく空色の時間に優しく包まれていたい、とっておきな時間。まだ残暑が厳しいとはいえ、朝夕の風は秋の気配をまとっている。10月にもなれば秋の釣瓶落としで、会社を背にする頃には街灯が目に飛び込み、空を見上げるよりも帰路を急ぐ足早な時間となるからこそ、この夏の名残があるうちに、空を見つめ焼き付けておきたい。

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台湾かき氷

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(赤福ホームページより)

こんなに暑いと、かき氷の冷たさが恋しくなる。普段からアイスクリームは冷凍庫に常備していないし、家では氷さえも、なかなか出番がない。母は最早冷たさが苦手なのだと勝手に理解していた私であるが家族で伊勢神宮を参拝した際に、赤福で有名な店舗で、何と母は、迷うことなく、かき氷を注文していた。理由は、夏季限定だからだそうである。「限定」という文字は、心をくすぐる魔法の言葉だ。出来たての赤福を頬張る私の横で母は、いつの間にか食べ終わっていた。そして、すぐさま店員さんを呼んだ。その時の店員さんの顔は忘れられない。一瞬の間があった後に「かき氷をおかわりされる方、お客様が初めてです!」と母を見て、急に勢いよく鳴る風鈴のように、コロコロと笑った。普段から冷たい物を口にしない母が、まさか、かき氷を立て続けに2杯も頂くなんて!「美味しいわ」と、微笑みながら2杯目も何事もなく綺麗に平らげた母のことを強者だと改めて感心しながら、ここは「伊勢」だけに、威勢の良い食べ方だなぁと妙に納得した、かき氷には、そんな思い出がある。

前置きが長くなったが、日本で、かき氷を注文したことのない私が、台湾へ行った際に、とうとう人生初の「かき氷」を注文した。それがこちらである。

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台北にある台湾人お勧めの、かき氷店。店内で食べている間も客足は途絶えることなく、皆バイクで買いに来ていた。ケースの中には、杏仁豆腐や芋類などの様々な具材が並べられている。4種類選べるが、言葉がわからないので、適当にケースの中を指差して注文した。

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最初、手にした時は、キーンという冷たさで参ってしまうのではないかという恐怖が頭をよぎったが、氷だけではなく4種の具材も入っているせいか、頭までキンキンに冷えることも、スプーンの速度も落ちることもなく、気が付けば無事に平らげていた。お腹に、しっかりとおさまる感じがあり満腹感が持続するため会食前は避けることが必須だ。練乳、抹茶の粉、小豆、この3種の組み合わせが自分にとっては理想だが、黒蜜も、しつこい甘ったるさがなく美味しかった。台湾の暑さとかき氷が懐かしく恋しい今日この頃である。