花鳥風月

〜日々を彩る風鈴花の365日〜

霜柱の楽園

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各地で厳しい寒さが続いている今年、

霜柱を目にする回数も多いように感じる。

霜柱を発見すると、大人になった今でも

そっと踏みつけて感触を確かめたくなる。

蘇ってくるのは、毎朝通う道の途中にある

一面の野原に出来た霜柱を見て歓喜の声を

上げながら走り回り、その感触を楽しんだ、

幼稚園生の頃の記憶である。「霜柱の楽園」

私はその空き地を、そう命名し楽しんでいた。

まるで自分と霜柱しか存在しないかのように

自分の踏み方によって微細に変化していく

霜柱の音と感触に全神経を集中させていた。

霜柱にとっては迷惑な話ではあるが、毎朝、

霜柱の上を駆け回ることが冬の日の日課と

なっていたのだ。当時カメラを手にしていたら

どのような霜柱の表情を捉えていたのだろうか。

今だからこそ、その無邪気な目線を見てみたい。

 

ザック、ザック、シャッカ、シャッカ・・・。

 

喧噪と競争と時間を意識する現在、ただただ

目の前に広がる風景に、無心で夢中になって

遊べた幼い頃の記憶の中で一人戯れていると

霜柱は霜柱でしかなく、霜柱の美しさがある

という当たり前の真実を前にして、ふと

自身の心の中が透明になっていくのを感じた。

焦り、不安、悲しみ、怒り・・・、

人は、あらゆる負の感情をいつしか心に宿らせ

曇らせながら時間に追われて行く日々を過ごす。

霜柱はその存在を疑うことなく霜柱としての時を

過ごしているだけであるように、人も自分は自分

でしかなく、自分の時を過ごすために生きている。

つまり、下から上へ真っすぐに時を生きることが

真であり、上から下への時を辿ることは、死を

意味するのではないだろうか。否、下から上への

気持ちが萎えて上から下への圧力が一方的に強く

かかった時に、生命のエネルギーが消失していく

と言えるのではないだろうか。ここで言う、上から

下への時とは、マイナスや負の感情によって自らを

下へ踏みつけるという行為と、その結果の自己否定

を表している。そしてまた、人は気付かぬうちに

せっかく成長を遂げようとしている、上へと伸びて

行く幸せな時間軸を、自ら下へと押し曲げ、不幸な

時間軸へと向くようにもプログラミングされていると

換言出来るのではないだろうか。霜柱を踏んで地面へ

と返しながら、そんなことを、ぼんやりと考えた。

 

プログラミングされている、という内容を友に話すと

「うーん、そうじゃないと思う。」という返事がきた。

「言葉が不完全であるがゆえに、言葉として表現する

ことで、かえってそれが足かせとなってしまうか

あるいは、自分が思い描いている映像を網羅出来ずに

ズレが生じてしまう状態を意味するんじゃない?」

要約すると、そういう回答だった。なるほどと思った。

思考と言葉。言葉は思考を支えながらも、完璧には

一致を見せない。

のほほんと生きている自分とは違い、常日頃、自分なら

どうするか、どうしたいか、と「思考」を繰り返しながら

自分なりの道というものを模索し選択し続けてきた友は、

そういえば、言動にズレがなく日々一貫している。

発する言葉もシンプルで、究極的には、YesかNoか

という感じであるので、言葉にも無駄がない。それは言葉で

支えきれない思考は、あえてしないという選択をしている

から、思考と現実が一致しているのだと気付いた。一方、

中間、中庸も範囲に入れながら、様々な角度から考えて

表現を多様にしながら生きている自分は、芯は一貫している

ものの、思考が言葉を超えてしまうことがままあり、そこに

ある種のズレが生じているのだろうと思い至ったのだった。

例えば、「好き」「愛している」という言葉を口にすれば

良い場面でも、あえてその言葉を使わずに、別の表現を探して

投げかけてしまうがために、ダイレクトな言葉を期待していた

相手からは、「あれ?」と不安に思われ温度差を感じさせて

しまうように。もちろんこの場合は、照れが大きいけれど

特別な想いを伝える際の言葉は特に、素直に

シンプルにダイレクトに、が一番いいのだと改めて思う。

 

自分が自分であることを否定せずに、自分のままで

あることに感謝をして生きる、そして、否定形で

上から下へと押しつぶしてしまうのではなく、生きる

という、下から上への純粋な気持ちを思い出してみよう。

真っすぐに私のままで、上へと伸びる私時間を生きよう。

シンプルにダイレクトに素直に言葉を投げかけてみよう。

霜柱との時を通して、いつしか、私は自分に誓っていた。

 

霜柱は、幼い記憶と共に私の原点に立ち返らせてくれた。

 

☆本日の一言☆ 幼少期を振り返ると自分が見えて来る